聖戦、義戦、そこには常に大義がある。

 

かつて大東亜戦争において大日本帝国が唱えた「亜細亜人の亜細亜」も場当たり的
な理由でありながらも、亜細亜各国の人々を高揚させるに十分な効果をもたらした
ことであろう。敗戦後にも真の独立のために亜細亜各国に残り、植民地の宗主国
して戻ってきた欧州の国々と戦い、そして倒れた旧日本軍人達がいたことは忘れて
はならない。

 

だが、大義とはたいていの場合において「名目」でしかない。その名目さえあれば
嘘も真実となる。「勝てば官軍」と言う言葉があるように、官軍が錦の御旗を掲げ
ようが戦いに負ければ彼らが逆に賊軍となるわけだ。維新後に幕府が無くなったも
のの、薩長がそれに変わっただけの体制に不満が爆発したのは、「大義」が果たさ
れず暴発を生んだ。

 

大義はエネルギーも生むが、反動も生む。結局は果たせない「名目」である以上、
当然の結果なのであろう。皮肉なものである。