改革により旧態依然とした制度を打破する、これは閉塞した状況を抜け出すには
必要なことである。さらに言えば逼迫した状況では、急激な変化と共に様々な
「痛み」を味わうことになる。江戸時代から明治の世に移りゆく中でも、幾多の
乱が起こり、それらを鎮圧することで土台を固めていったわけだ。

 

だが、様々な規制に守られた業界に異業種から単身乗り込み、現状よりもより良
いものを提供する手段を持っていると高らかに謳う人がいたとしよう。現状、提
供されているもので十分満足している消費者にとってもこれは良い迷惑であるし、
ものを提供する側にとっても少なくとも今すぐ必要とは思えない変革を迫られる
ことは、余計なお世話でしかない。

 

誰もが意味のない「痛み」を求めたりはしない。それが必要であると判断した時
に、半ば諦めつつも受け入れるのだ。必要でないのに受け入れなくてはならない
時には多くの「苦痛」と共に拭いようのない「敗北感」を植えつけられることで
あろう。変える必要のないものを変えたいとはどうしても思えないのだ。