日本語とは便利なもので、言葉の言い換えが非常に多彩である。そのために敬
語が発達したのであるが、一方では言い換えによって事の本質を見えなくする
ことも出来る。戦中の大本営発表が良い例で、「撤退」が「転進」で「全滅」
が「玉砕」となる。「他方面に転進」と言ったところで、負けは負けなのだか
ら実態は何も変わらないにもかかわらず、だ。

 

数ヶ月前だったか、電車に乗っている時におそらく70代と40代くらいの女
性で、おそらく親子だったのだろうが、彼女達の会話の中にも似たような話が
あった。最近の若者について話していたようで、「ニート」や「フリーター」
について話が及ぶと、「言葉の言い換えで、結局は無職同様ではないか」と言
い放った。無職は本来、社会的には恥ずかしいことであるが「家事手伝い」同
様、本質を包み隠す必要は無いのではなかろうか。

 

むろんいわゆる「ニート」や「フリーター」に已むに已まれずなってしまった
人が多数であろうが、それを受け入れられるほど社会が成熟していないのもま
た事実である。だが、個人的には「夢追い型」の「ニート」や「フリーター」
を認めるつもりは一切ないとも付け加えておく。気が付いたら30間近では仕
方あるまいて、時は止まらないのだといつ気が付くのだろうか・・・