枝野幸男経済産業相は9日、東京電力福島第1原発事故をめぐる原子力災害対策本部
の議事概要公表を受け、省内で記者団の取材に応じた。事故発生当日の昨年3月11
日に開かれ同本部の第1回会合で、炉心溶融に至る可能性が指摘されていたことにつ
いて、当時は官房長官だった枝野経産相は、だれがその点に言及したのか「自分かど
うかも含めて、全く記憶がない」と述べた。その上で、炉心溶融の可能性に記者会見
で言及するのが3月13日まで遅れたことには「いろんなご評価はあるだろう。甘ん
じて受けたい」と述べ、批判されてもやむを得ないとの認識を示した。

 

当時、原子力災害対策本部で何が議論されていたのか、その詳細は不明である。録音
だけでもしておくべきだったと普通なら思うだろうが、政治家や官僚はそうでは無い
のかもしれない。今回公表された議事概要のほとんどは箇条書きで列挙されている状
態で、発言者が不明なものも多く、避難区域の設定など、政府の重要な意思決定がど
のような形で行われたかは依然、不明なものも多いようだ。あれだけの大災害に対し、
当時の政府がどのように対処したかは、後世に残すべき重要な記録である。不眠不休
でお疲れだった枝野氏に、それを言うのは酷かもしれないが、政治とは常に結果責任
が問われるものだから、仕方ないのだ。