安倍晋三首相が発表した戦後70年の談話について、1995年に首相談話を出した
村山富市元首相は14日夜、地元の大分市内で記者会見し、自身の談話が「引き継が
れた印象はない」との認識を示した。戦後50年の村山談話について、安倍首相は「
全体として引き継ぐ」と説明してきた。村山氏は会見で、安倍談話について「(村山
談話を)否定もしていないし、踏襲もしていない。出す必要はなかった」と指摘。「
焦点がぼけて、さっぱり何を言いたかったのか分からない」と切って捨てた。

 

いわゆる村山談話は「談話」以上の重みを持って、後の首相たちを縛り続けている。
村山氏はそこまで考えていなかったと思うが、いつの間にか不磨の大典として、一部
の勢力に担ぎ続けられている。焦点となったのは、やはり「おわび」の表現なのだが、
村山氏は「何をおわびしたのか不明確だ」と批判している。しかしながら、戦後70
年も経ち、いつまでおわびを続けるのか、と言った声も無視できない。そう言った流
れを断ち切る談話にはなったのではなかろうか。