かつて日本が戦乱の世にあった頃、敗色濃厚な側を裏切り恩賞に与ろうとする
輩が普通に存在し、それらの輩にあらかじめあたりをつけておくのも当然の行
為であった。生き残りをかけた戦いである以上はきれい事を言っていては、自
分達が攻め滅ぼされるのを座して待つのみである。

 

だが戦乱の後に訪れた江戸の太平は「武士道」を生み、裏切りや闇討ちを卑怯
であると考えるようになった。今聞けば至極当然のようであるが、作法として
成り立つには、戦乱ではなく太平が必要なのだ。こうした武士の美徳が現代に
おいても語られていることは喜ぶべきことであろう。

 

それに引き替え、権威が失墜した途端に「今、初めて知りました」かのような
素振りで報道をするマスコミは、正に「きれい事」抜きの存在である。司法や
警察の威光を笠に、「我に正義あり」と突っ走るのは如何なものか。それが彼
等の正義であるなら、ジャーナリズムとは言い難し。