世界市民」や「地球市民」という一種の妄想世界の言葉は、本当に世界を知る人間
が生み出したものではない。自分の国に幻滅し、より良い世界があるに違いないと思
ったものの、結局は旅行先の外国の上っ面だけに影響されてしまった連中の言葉に他
ならない。自分の国に欠点があるように、他国にも欠点は必ずある。人間が運営して
いる以上は長短あって当然ではないか。

 

文化の違いもそうだが、宗教の違いが一番ややこしく解決することのない問題である。
我が国では、国家レベルに影響を及ぼすような宗教の慣習もなく、ましてや国教があ
るわけでもない。非常に緩みきった状態である。だからこそ新興宗教がそこに割って
入る余地があったとも言えるわけだが・・・ともかく他国と歴然たる差があるのは、
誰の目にも明らかだ。

 

たいていの妄想世界の住人達は「世界市民」への一歩として「戦争」をなくすことを
語るが、一歩どころか一万歩くらい飛躍した話ではないか。さらに対立の原因となっ
ている「宗教」をなくすことは事実上不可能な話だ。ある程度の妥協と打算があって
合意や条約が結ばれている。アンバランスな中に均衡を保とうと努力しているのが、
本当の「世界」なのではなかろうか。

 

むろん最貧国に対する援助、また環境に取り組む姿勢としてのいわゆる「世界市民
的な発想は非常に結構なことである。