友好、この言葉は多くの場合に悪用される。日中友好のため、日韓友好のため
と主張すべきことをせず、何度も国益を損なってきた。常に友好の手を差し伸
べているのは我が国であるが、それに対する彼等の反応は罵倒や侮辱ばかりで
何ら「友好」とやらの成果は寄与していない。無理に握手をしようとしても、
相手が手のひらに画鋲を仕込んでいるのでは仕方あるまい。

 

中国には膨大な円借款を行い、インフラ整備等に大いに役立ち今日の中国の経
済成長(歪ではあるが)の基礎となった。むろん、そういった事実が中国国民
に知らされることなどなく、政府も賠償請求を放棄した代わりの援助程度とし
か位置付けていないことであろう。進歩的文化人言うところの「平和勢力」で
あった中国も、中ソ対立やベトナム侵攻で化けの皮がはがれ、さらには尖閣
島や南沙諸島への領土的野心も見せる「覇権国家」であることは当の昔に明ら
かになっている。

 

日韓友好については、2002年のW杯、さらには2004年からのいわゆる
「韓流」ブームとやらでかつてないほど、両国の距離が縮まったと言われた。
果たして本当にそうなのだろうか。W杯では日本代表が苦戦すると喜び、シュ
ートを決めるとブーイングする韓国サポーターに不快感を覚えたのみで、友好
の雰囲気を感じられはしなかった。韓流はしょせん仕掛けられたブームである
以上、友好以前に金儲けのための一事業に過ぎない。第一、非日常的なドラマ
や映画を見て韓国への友好ムードが築けるものではない。

 

偽りの友好は、国民を欺くだけでなく多くのものを「失う」ことになりかねな
い。友好関係は時間をかけて築いていくものであり、感情的な対立程度を乗り
越えられなければ、適度に距離をおいた方が良いのではなかろうか。