以前(元号 - 五反田諜報部)新聞の発行日における元号に関することを書いたが、
やはり我が国の新聞であるのに西暦優先で表記するのは非常に違和感を感じる。
いつから西暦が優先されるようになったかは、引き続き調査していきたいとこ
ろであるが、おそらく戦後からだと思われる。

 

キリスト教国であれば、当然西暦でのみ表記されていてしかるべきであろうが、
我が国には明確に国教と呼べる宗教も無く、国民の象徴として天皇陛下がおら
れる。その在位にあわせての元号なのであるから、西暦もそれに併記する形に
すれば何ら支障は無いはずだ。元号が西暦に併記「される」のではなく、西暦
元号に併記「される」のが望ましい。

 

かつて、卒業証書は一生の記念になるものであるから元号表記ではなく西暦表
記にして欲しいとの申し出を行った中学生達がいた。しかし渡された卒業証書
元号表記であったため、彼等は個人の思想・信条の自由を侵害するものだと
して提訴したのだ。この訴訟に際して大阪地裁は、「記載方法が社会的にみて
不相応なものであればともかく、そうでない限りは様式決定者の裁量の範囲で
あり、特段の事情の無い限りそれを違法とすることは出来ない」とした。

 

当然の判決である、誰が吹き込んだのか知らないがこの中学生達はどのような
思想・信条を持っていたのだろうか。元号天皇暦だから駄目だ、とでも考え
ていたのか、理解に苦しむ。西暦が国際暦として、如何に世界に伝播されたの
かを少しでも考えたことがあるのか。それは言うまでも無くキリスト教国が世
界各地で植民地支配を行った結果である。西暦は他国の固有の暦を奪い、そし
て広まっていった征服暦のようなものだ。

 

我が国における元号とは伝統的な文化の一つであることは間違いない。これを
ないがしろにする権利は誰にも無いのだ。まずは新聞各社に元号優先の発行日
とすることを働きかけていきたい。