大東亜戦争末期、昭和20年の沖縄戦で犠牲になった20万人以上の犠牲者を
悼む「沖縄全戦没者追悼式」が23日、最後の激戦地だった沖縄県糸満市摩文
仁の沖縄平和祈念公園で行われ、遺族ら約5200人が参列、戦後60年にあ
たって改めて戦没者らの冥福を祈った。60年前のこの日、米軍の猛烈な攻撃
に追い詰められた日本軍は、司令官の自決によって組織的な抵抗を終了。沖縄
では「慰霊の日」と呼ばれている。

 

鉄の暴風と例えられた沖縄戦は、3ヶ月に渡り日米両軍だけでなく沖縄県民も
巻き込む激しい戦いであった。本土決戦までの「時間稼ぎ」と言う絶望的な状
況の中、補給も援軍もないまま多くの将兵が倒れ、また同胞であるはずの沖縄
県民をスパイ扱いして殺害するなど行為もあった。最終的に日米両国の犠牲者
は合計20万人を超え、沖縄県民の4人に1人が死亡したとされる、正に鉄の
暴風が吹き荒れた結果である。

 

今もなお沖縄には我が国における米軍基地の大多数が集中しており、鉄の暴風
が吹き荒れた後も、決して県民の心は休まることは無かっただろう。基地と観
光と国からの援助に頼る構図は、沖縄を真の意味での独立を阻み、米軍の極東
戦略上、沖縄の有効性が変わらないことには永遠に続くことなのだ。60年と
いう時が流れようとも、沖縄には多くの問題が残されている。

 

最後に大田實海軍少将(日本海軍沖縄方面根拠地隊司令官)が、昭和20年6
月6日に海軍次官に宛てた電文を紹介し、筆を置きたいと思う。
【沖縄県民斯ク戦エリ】