自社の記者がでっち上げた記事を受けて、朝日新聞社は8月31日付の朝刊に
社説として「虚偽報道 朝日新聞が問われている」なるタイトルで掲載した。
内容を読むと何とも他人事のような書き方である、例えば「この信じられない
ような出来事は、1人の若い記者に魔がさしたといって済むことではない。記
者をそんな心理にさせたものは何だったのか。取材をチェックする仕組みをど
うつくるか。問われているのは、そうしたことを含めた朝日新聞の組織や体質
だと思う。」

 

さらには「このくらいならという気のゆるみやおごり。社内外での競争がもた
らす重圧や焦り。朝日新聞という伝統と看板がかえって組織の病を生んではい
ないか。」と自社の伝統と看板を自信満々に書いている始末。「病弊を根本か
ら取り除く、日々の取材や紙面づくりで地道に努力する。それしか読者の信頼
を取り戻す道はない」と最後にしめてはいるが、それはごく普通のことではな
いのか。それすら出来ない新聞社であると言うなら、正に解体的出直しが求め
られるはずだ。

 


そこに突っ込みを入れるのは当然産経新聞。でっち上げ記事を「産経抄」で同
じく今日の朝刊で「絶句するしかない不正行為である」と切り捨てた。さらに
でっち上げ記事で終わらずに「なかでもNHKの番組改変報道についてはまだ
決着がついていない。番組は昭和天皇を「強姦と性奴隷制」で一方的に断罪す
る民間法廷を取り上げたものだった。取材資料が社外に流出し、それを基にし
た記事が月刊誌に載る騒ぎもあった。元朝日記者が主催した法廷には、北朝鮮
工作員が関与した疑惑まである。政治的な意図が見え隠れしているだけに、今
回の捏造事件よりも闇が深いのである。」と続く。

 

その通りである。朝日新聞社として大々的にぶち上げたNHKの番組改変問題
は、自ら記事の真偽を明らかにする責任がある。この虚偽報道を受けて、洗い
ざらいぶちまけて欲しいと思うのは読者であれば当然ではないか。組織や体質
を変えていくのは、それからであろう。