51人が犠牲になった新潟県中越地震から1年になった23日、同県小千谷市
総合体育館で県と被災8市町主催の合同追悼式が行われた。犠牲者一人一人の
名前が読み上げられる中、遺族や被災者ら約800人が祭壇に白菊を供え、犠
牲者の冥福を祈った。被災地を代表して長岡市の森民夫市長が「震災の教訓を
生かし、日本一安全、安心なまちを目指して復興を成功させるのが私たちに課
せられた使命」と決意を表明。妻を亡くした小千谷市の佐々木与吉さんが遺族
を代表し、「肉親を失い、言葉では言い表せない日々を過ごしてきた。震災を
忘れず、自分の力で立ち上がりたい」と思いを語った。

 

被災地では、今もなお2812世帯、9160人が仮設住宅で暮らしており、
地震の爪痕は1年を経った今でも消えてはいない。冬の間は文字通り雪に埋も
れる地域もあり、復興の難しさは筆舌にかえがたいものであろう。我が国はど
の地域でも地震が起きる可能性を抱え、いつ起きるのかもわからない地震の巣
の上に人口が密集する非常に危うい面もある。これを今日明日にでもどうにか
出来るわけもなく、日本人であれば地震とはこの国に住む限り付き合っていか
ねばならない嫌な相手である。

 

むろん、嫌だからと言って何もせずにはいられない。地震は起きるのを防ぐこ
とは出来ないが、起きた後の対策次第では二次被害は相当に防げるはずだ。今
まで蓄積されてきたデータをもとに、どうすれば大地震後の復興がスムーズに
進むか「想定外」のことを「想定内」に出来る限り収められるかが勝負となる
だろう。自衛隊と言う優秀な駒を先頭に「会議室」で決まった対応だけでなく
現地のニーズに合った対策をいかにとれるか、各自治体にはそれが義務となる
であろう。

 

山古志村(現長岡市)村長だった長島忠美衆院議員は、「名前も知られてい
ない地域だから、まず如何に被害が大きいかをアピールすることで『山古志』
を全国に知ってもらおうと思った」と語っており、過疎地域での地震対策の一
環を見せてくれたのを胸に刻みたい。