自民党武部勤幹事長は5日、水戸市内で開かれた山口武平・同党茨城県議の
パーティーであいさつし「日本は天皇中心の国。中心がしっかりし、同時にみ
んなで支える国柄だ」と述べた。その上で山口氏を茨城県政での天皇に例え、
茨城県政が隆々と発展しているのは、中心にある山口氏がすばらしく、皆で
もり立てている姿がそれ以上に素晴らしい」と持ち上げた。自民党では00年
5月に森喜朗首相(当時)が「日本は天皇を中心にした神の国」などと発言、
憲法がうたう主権在民に反する」として批判を受けたことがある。

 

日本国憲法第一章第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象
徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。よっ
て我が国が天皇中心の国家であることは憲法によって示され、誰もそれに対し
て疑問を挟む余地は無いであろう。何も問題があるような発言とは思えないの
だが、何故これを記事にする必要があるのか。確かに森首相の「神の国」発言
はもう少し言葉を選んでも良かったかもしれないが、別に武部幹事長はあいさ
つで「日本は法華の国」と言ったわけでもなく、どこぞの宗教のように大胆に
国立戒壇を目論んだわけでもないのである。

 

主権を持つ国民が天皇の地位を保障しているのであって、国民統合の象徴とし
天皇を戴くことが普通の姿なのであろう。これをいちいち政治家が「日本は
天皇中心の国」と言ったからどうこう書く理由などもともとないはずだ。どう
言葉を捉えても批判材料とはならないのに、どうしても批判をしたいのであれ
ば、それは良識ある判断とは言えないだろうが敢えて言えば県議を天皇と比較
するのはどうか、その辺りが関の山であろう。他に突っ込むところは一切無い、
森首相に深手を与えた時のようにはいかないのだ。