初の「戦地」派遣となった陸上自衛隊イラクサマワでの復興支援活動
が17日、無事終了した。派遣の最後となった第10次人道復興支援群の
隊員約600人のリーダー、山中敏弘群長は「無事に全員を移動させるこ
とができて良かった。これまでの自衛隊勤務の中で味わったことのない達
成感だった」と安堵の表情で語った。アリアルサレム基地に到着した隊員
らは、クウェート市郊外にある米軍キャンプ・バージニアに移動、既にキ
ャンプ地入りしている隊員らに拍手で迎えられた。山中群長はその後、会
見に臨んだ。この日クウェートに到着した最終約220人のサマワからイ
ラク国内のタリル基地への移動が16日夜、車10台で行われたことにつ
いて、山中群長は「路上爆弾の攻撃が少ない夜間の一番安全な時間を選ん
だ」と説明。そのうえで、「最後に宿営地を離れる時が一番緊張した」と
述べ、撤退の最後まで気が抜けない状況にあったことを明らかにした。

 

事実上の軍隊でありながらも、様々な制約のために積極的な活動が出来ず
にいた自衛隊にとって、本格的な海外での復興支援活動には隊員達も戦地
にいると言う緊張感を持て、今後も続くであろう海外での活動の良き前例
として、自衛隊史に刻み込まれた。むろん当初は政治に翻弄されたとは言
え、サマワでは現地の人々と交流を深め、給水約5万4千トン、医療技術
指導277回、学校など公共施設の復旧・整備133カ所。イラク人延べ
約48万8千人を雇用し、十分な結果を残したと言えるのではないか。だ
が、やはり他国の軍隊に護衛されると言う「自衛」隊の名が泣くような状
態であったことも忘れてはならないだろう。多くの課題を残してイラク
去る陸自の隊員達を、内地の我々は彼等が心地良く帰ってこられるように
「良くやった」と言う気持ちを持つことが必要ではなかろうか。復興支援
活動は我が国にとっても、自衛隊にとっても大きな挑戦であった。