独自の歴史観をパネルなどで展示している靖国神社の戦史博物館「遊就館
の記述が、今月から一部変更された。昨夏、シーファー駐日米大使ら米国
要人や岡崎久彦元駐タイ大使から批判が出たのを受け、日米開戦は当時の
ルーズベルト米大統領が経済復興のため強要したとしていた展示の書き換
えを検討。それを契機に同時代の「日米交渉」「満州事変」「支那事変」
へと対象範囲を広げて点検し、中国関連も含む7項目の表現を改めた。

 

国のために戦い斃れた英霊を顕彰する靖国神社の性質上、大東亜戦争が侵
略戦争では無く自衛戦争であるとの歴史観を展開する他無い。対英米開戦
は国力の差もあり敗北は必至、天皇陛下を始め最後の最後まで交渉を続け
開戦を避けようとした意志を持っていたのは間違いない。開戦を決意させ
るに至ったいわゆる「ハルノート」は全ての軍事同盟を破棄させ、海外に
おける権益の全てと、実質上、領土の3分の1を放棄させるという厳しい
ものであり到底受け入れ難いものであった。

 

遊就館のパネル監修者の永江太郎・元防衛研究所戦史部主任研究官は「誤
解される表現を改めたが、論旨は変えず、史料を示して補強した」と歴史
観の修正ではないことを強調。「大東亜戦争は米国と中国に責任があり、
日本にとっては追い込まれた末の自衛戦争だった」という展示の基本的な
考え方は変わっていないとしている。誤解を招く表現は修正し、これまで
通りの歴史観を維持するのは他国の参観者に対しての配慮として当然であ
ろう。だが、歴史観の共有が難しいのは忘れてはならないことだ。