三菱自動車は4日、ダカール・ラリーから撤退すると発表した。世界的な
販売不振が続いており、「約30億円の参戦経費を削減するため」と説明
している。79年に始まったダカール・ラリーは、砂漠を疾走するなど「
世界で最も過酷な条件で競われる」と言われる自動車レース。当初はパリ
がスタート地点で、セネガルの首都ダカールがゴールだったため、「パリ
・ダカ」の愛称で親しまれた。三菱自動車は83年からパリ・ダカの四輪
部門に参戦し、85年にはパジェロで初優勝を飾った。97年には、社員
ドライバーだった篠塚建次郎が、12回目の挑戦で日本人初の総合優勝。
02、03年にはラリードライバーの増岡浩が2連覇を成し遂げた。08
年はアフリカの治安悪化により中止されたが、三菱は南米に舞台を移した
今年1月の大会にも出場していた。

 

自動車業界の暗い話題が続いている。パリ・ダカに参戦してきた代表的メ
ーカーである三菱自動車であった。三菱勢の総合優勝は、07年までの7
大会連続を含む通算12回を誇り、パリ・ダカと言えば三菱と言えるくら
いの実績を積み重ねてきた。撤退によって約20人の部員を抱える「モー
タースポーツ部」は解散し、ほぼ全員が「電気自動車開発部」への異動を
申し渡されることとなった。これは活動休止では無く完全撤退を意味する
のではないか。輝かしい歴史に終止符を打たねばならない苦悩は、経営陣
だけではなく社員も同じであろう。だが、それほどまでに販売不振が深刻
であり、そう簡単に現状を脱出出来ない以上は苦渋の決断であったのでは
ないか。経費削減を叫んでおきながら、ラリーには多額の資金を投じる、
では理解を得るのは難しい。