菅首相は15日午前の閣議後の閣僚懇談会で、将来的な「脱原発」方針について、政府
見解ではなく、個人的見解として「決意」を披瀝したものだと釈明した。この問題での
首相の説明は、中野国公安委員長の抗議を受ける形で初めて行われ、閣内の不一致ぶ
りを改めて露呈した。首相は来週早々に、自らが本部長を務める原子力災害対策本部な
どを開き、閣内の調整に入る意向だが、閣僚からは公然と反対意見も提起されている。
15日の閣僚懇談会では、中野氏が「首相は原子力に関する見解を発表したが、閣僚は
話を聞いていない。説明してほしい」と要求。首相は「今日までの経緯を含め、総合的
にこの辺りで国民の皆さんに方向性と自分自身の決意を述べておく時期ではないかと考
えて記者会見した」と説明した上で、「政府見解として公式に述べたということではな
く、決意を述べた」などと語った。

 

個人の思いを披瀝するのは結構だが、それを公式の場でないところでやって欲しいもの
だな。閣僚から抗議があるのも当然である。首相の発言はそれだけ重いものであって、
個人の思いでは済まないからだ。「今日までの経緯を含め、総合的にこの辺りで国民の
皆さんに方向性と自分自身の決意を述べておく時期ではないかと考えて記者会見した」
との説明も、首を傾げざるを得ない。菅首相東日本大震災以降、記者の「ぶら下がり
インタビュー」を拒否し、会見のタイミングも一方的に設定しており、さすがに記者側
から「首相の都合のいいときだけ記者会見するという状況の改善をお願いしたい」との
要望が出ている。自分にとってプラスになるような場面でしか、公式な会見をしないと
言うのはあまりに都合が良すぎはしないか。そうまでして政権の座にしがみついていた
いのだろうか。菅首相にとって、政権を担うということは何なのかを聞いてみたい。